日経新聞2/4大岡山通信を読んで感じ改めてた”子どもたちが先生だった”の意味

今朝(2/4)、日経新聞の「池上彰の大岡山通信 若者たちへ(196) 話す力を磨く(上)」を読んでいて、池上彰さんの分かりやすい話し方の 原点には、「週刊こどもニュース」の経験があったと書いてありました。

 

私も仕事でプレゼンテーションをすることがありますが、 やはり相手が誰かということに思いを巡らせて、 話す内容や時間配分を決めていくことを意識しています。

 

業務のことを自分の上司や経営層に報告するのであれば、 基本的なビジネスの前提は共有していると考えて問題ありませんが、 リクルートの場などでは、関心の度合いによっても情報量に差があるでしょうし、学部なのか院なのか専門性によっても違いがあると思います。

 

また、別の部署の人と話をするときにでも、どのような仕事をしていて、どのような目的のために、どんな協力をしてほしいのかを 丁寧に説明して共有した上でないと、なかなか思うようにコラボレーションが 図れず、なんで伝わらないんだろう?ともどかしい思いをすることもあります。

 

池上彰さんが言っていた「子どもたちが先生だった」という言葉は、

私が大好きな作家・科学者である故加古里子先生もおっしゃっていたことです。

加古里子先生の「未来のだるまちゃんへ」の中で、 戦後のセツルメント活動の中で、子どもたちを喜ばせるために絵本を描いたと 書かれていました。

 

子どもたちは正直で、面白くなければ興味をもたない、子どもたちの反応を絵本の展開に活かしたという話がありました。

子どもが興味を示さないのは、子どもの集中力が足りないのではなく、おそらく、単に面白くないからなのです。

 

例えば、夜の読み聞かせをするときに、子どもが「これ読んで」と言って 渡してきた本を読んであげても、どうも他の本が気になっている様子。

 

ここで、ついつい「自分が読んでって言った本なのに!!」と思ってしまいがちですが、

・思っていた本と違ったのか、

・何度も読んでもらっているから先の展開が分かってしまっているのか、

・読み方が気に食わないのか、

・なんとなく今の気分に合わないのか、 理由は分かりませんが、

とにかく面白くないんだと思います。

 

子育てをしていると、どうしても親の意見や願望が前面にでて、 子どもを変えようとしてしまっていたことを反省しました。

「子どもの感覚を受け入れる」

「子どもから学ぶ」

ということを改めて 認識して、おおらかに子育てをしていこうと思いました。